
3.2 株価暴騰とマネーゲームの実態
目次
3.2.1日銀の金融緩和が招いた株式市場の異常高騰
バブル経済期、日本は経済というより国家規模のカジノ会場になっていた。土地が「持ってるだけで増える」なら、株は「買えば必ず上がる」。いや、そんなはずないんだけど、当時はそれが本気で信じられていた。おそらく「重力なんて信じない」と言って空を飛ぼうとするくらいの勢いで、人々は株式市場に突撃していた。実際、飛んだ。で、後で落ちた。
1980年代後半、日本銀行の金融緩和であふれた資金は不動産市場だけでなく、株式市場にも雪崩れ込んだ1。金利が低いから、預金しても増えない。でも株なら増える。というより、「何を買っても上がる」という謎の相場が支配していた。理屈とか、企業業績とか、そんなものは関係なかった。銘柄の選定理由が「近所の人が買ってたから」「社名がかっこいいから」みたいなことすら普通にあった2。それでも儲かった。
3.2.2日経平均株価は史上最高値へ、企業も財テクに熱狂
株価は1985年頃から右肩上がりで伸び始め、1989年末、ついに日経平均株価は38,915円を記録する。これは史上最高値であり、長年破られなかったが、2024年にようやく更新された3。当時のニュースは「日経平均4万円突破も視野」などと浮かれた見出しを踊らせていたが、それがまさか現実になるとは、当の本人たちすら信じてなかっただろう。
この時代に生まれたのが、いわゆる「財テク」ブーム。財務テクノロジーの略称で、本来は企業の資金運用技術を指す言葉だったが、いつの間にか「とにかく金を転がして儲けようぜ」という空気の代名詞になっていた。製造業も商社も銀行も、業務そっちのけで株や土地で一発を狙いはじめた。資金は本業ではなく投資に回され、企業の資産内容は実体からどんどん乖離していく。つまり、日本中が副業中毒。しかも副業の方が儲かってるという、もう倫理も経済もあったもんじゃない状態だった。
3.2.3信用取引・借金投資が支えたバブル相場の崩壊前夜
しかも、そこに銀行の過剰融資が拍車をかける。金が余ってるから、株を買うための資金も貸してくれる。普通の会社が「株を買うために借金をする」というスキームが当たり前になっていた4。信用取引どころか、企業が借金で株を買い、さらに担保にしてまた借金をして株を買うという、もはや「無限バブル養殖装置」が完成していた5。わずかな資本で何倍もの取引ができるこの状態、例えるなら豆腐1丁でビルを担保にするみたいなノリだった。どうかしてる。
この異常な相場の中で、「資産=儲かる手段」という意識が国民に浸透しはじめる。「企業の株を買う」のではなく、「株という札束を売買する」感覚になり、株式市場は投資の場からギャンブルの遊技場へと変貌を遂げた6。初心者も学生も、時には主婦までもが「株やってる?」という話を交わし、証券会社には連日大行列ができた。証券マンはアイドル化し、ボーナスは億単位。
だが当然ながら、この暴騰は持続不能だった。1989年をピークに株価はじわじわと下落し始め、1990年代に入ると崩壊の兆しが一気に広がる。上がるのが当たり前だった株が下がる? 売ればいい? 売れない? 損切り? なにそれ? という具合に、市場はパニックと否認の混合状態へ突入する。あれだけ「楽勝」と思っていた投資家たちは、まるで魔法が解けたみたいに現実に引き戻されていく。いわば、宴が終わったあとに割り勘の計算が始まった感じ。気まずいにもほどがある。
結局、株式市場はほんの数年で膨張し、たった数カ月で崩れ落ちた。暴騰の理由は曖昧だったが、崩壊の理由もまた明確ではなかった。ただ言えるのは、全員が「止まるわけない」と思っていたことこそが、最大の落とし穴だったということ。株は企業の価値を映すもの…だったはずなのに、いつしか「欲望の鏡」になっていたのだ。そしてその鏡は、最終的に割れる運命にあった。
参考:
戦後日本経済史 日本経済新聞社 (編集)
日本経済史1600-2000: 歴史に読む現代 浜野 潔 (著)
バブル:日本迷走の原点 永野 健二 (著)
日本不動産業史―産業形成からポストバブル期まで― 橘川 武郎 (編集), 粕谷 誠 (編集)
バブル文化論 原宏之 (著)
狂気とバブル チャールズ・マッケイ(著)、塩野未佳(訳)、宮口尚子(訳)
アッコちゃんの時代 林 真理子 (著)