
4.4 ハイテク産業の台頭とソニー神話
目次
4.4.1 ソニーは救世主だった:ウォークマンと時代の牽引力
1990年代――日本経済が迷走し、政治も雇用もグラグラしていたそのとき、唯一“未来”を感じさせてくれたジャンルがあった。それがハイテク産業、そしてその象徴とも言えるのが、あの輝ける存在――ソニーである。ソニーはこの時代、単なる家電メーカーではなかった。「日本はまだやれる」と世界に言い放つ、最後の希望のカタマリだったのだ。
まず、当時の日本は、エレクトロニクス分野で世界を席巻していた。パナソニック(当時:松下電器)、日立、東芝、シャープ、NEC、富士通など、並み居る巨大メーカーが、半導体、家電、情報機器を武器に世界市場で覇権を競っていた1。その中でも、最も世界的にスタイリッシュで、イノベーティブで、ついでにちょっと気取っていたのがソニーである。言うなれば、技術の天才がちょっと天狗になったときの理想形。
この時代のソニーは、ウォークマンの成功を背景に、次々と時代を先取りするプロダクトを生み出していく。ポータブルオーディオのパイオニアとして、カセットからCD、MD、さらにはデジタルオーディオへの移行を牽引した2。ちょっと待って、MDって何?って思った若者よ、それが時代だ。一瞬だけ輝いたテクノロジーにも、みんな夢を見たんだ。
4.4.2 プレイステーション革命と世界への進出
さらに決定打となったのが、1994年の「PlayStation」の発売である3。これはまさに、ハードウェア、ソフトウェア、エンタメの三位一体革命。ゲーム業界をひっくり返すような3Dグラフィックス、CD-ROMという大容量メディア4、そして『FF7』『グランツーリスモ』『バイオハザード』といった名作タイトルの連発。ソニーはもはや家電会社ではなく、「世界が憧れる日本製イノベーションの代名詞」となった。
その成功の背後には、「創造性に賭ける姿勢」があった。他社が無難な製品を出すなか、ソニーは時にリスクをとり、常識を疑い、オリジナリティを重視した。今では当たり前のポータブル音楽プレーヤーも、最初に出したときは「録音できない?バカじゃね?」と叩かれた。ソニーはそのたびに、「いや、使ってみ?未来だから」と言わんばかりに市場をリードし続けた。
しかも1990年代後半には、アメリカのハリウッド映画会社コロンビア・トライスターを買収5。これは、「日本がアメリカの象徴的カルチャーを買った」歴史的事件だった。ウォークマンと映画、ゲームとテレビ。ソニーはあらゆるメディアを手に入れ、「世界をエンタメで征服するジャパン・ドリーム」を現実味ある話にしてしまった。もうこれは神話というより、やりすぎた勇者譚である。
4.4.3 ソニーの栄光とその後の現実
この「ソニー神話」は、日本社会全体にとっても重要な意味を持っていた。というのも、バブル崩壊後の混迷のなかで、ソニーだけが「勝てる日本企業」として唯一の明るいニュースソースだったからである。ニュースで連日「不況」「倒産」「失業」が流れる中、ソニーの新製品発表や海外進出は、まるで“日本まだイケる感”の延命装置だった。
だが、神話である以上、当然限界もあった。2000年代に入ると、デジタル技術の急速な進化に対して対応が遅れ、AppleやSamsungといった海外企業に追い抜かれていく6。ウォークマンの後継をiPodに取られたのは、神話が現実に追いつかれた瞬間だった。それでも90年代のソニーは、間違いなく“天才が世界を魅了していた”数少ない証拠だったのだ。
総じて言えば、1990年代のハイテク産業は、経済が停滞し、政治が迷走する中でも、「創造する者は生き延びる」という事実を体現していた。そしてソニーは、その時代精神を背負った最後のヒーローだったのかもしれない。
参考:
戦後日本経済史 日本経済新聞社 (編集)
平成はなぜ失敗したのか 「失われた30年」の分析 野口悠紀雄(著)
デフレの正体 経済は「人口の波」で動く 野口 悠紀雄 (著)
ソニーをダメにした「普通」という病 横田宏信(著)