戦後から現代までの日本史【第一章/第一回】

目次

1. 戦後直後の日本(1945〜1950):焼け野原からの出発

1945年、日本は第二次世界大戦に敗北し、国土は文字通りの焼け野原と化した。都市は空襲により壊滅的な打撃を受け、広島と長崎には原子爆弾が投下され、数十万人の命が奪われた1。国民は深刻な物資不足、食糧難、住宅難に直面し、生き延びることが最大の課題となった。そしてそんな日本に、アメリカを中心とした連合国軍総司令部(GHQ)2がやって来た。マッカーサー元帥をトップとする彼らが、日本の再構築を主導していくことになる。自発的か?というと、まあそうでもない。とりあえず「お前ら、もう戦争はやめとけ」と言われたので、日本はおとなしく国の再建に取りかかるしかなかった。

この時期の日本社会を一言で表せば「混乱と再出発」である。敗戦により軍国主義的な価値観は一掃され、新しい時代のルール作りが始まった。今までの“皇国史観”3は、GHQから見ればだいたい「ファンタジー」であり、現実の政治体制や教育、経済政策はすべて一新される運命にあった。民主主義、自由主義、平和主義という耳ざわりの良いキーワードが輸入され、人々は戸惑いながらもそれを受け入れざるを得なかった。

また、国民の心理状態も特筆に値する。希望と絶望が入り混じった感情の中で、彼らは生き延びることに集中しながらも、次第に“新しい日本”というものに希望を見出していく。とはいえ、当時の記録や写真を見る限り、誰もがボロボロの服を着て、配給に並びながら「これからの民主主義が楽しみですね!」などと陽気に語っていたわけではない。むしろ、明日の食事すら保証されない現実の中で、「自由って何?」「平等って飯になるの?」というのが正直な感想だったろう。

戦後直後の混乱期は、後の高度経済成長という“奇跡”の前段階であり、日本という国がリスタートを切った瞬間でもある。この時代を語ることは、現代日本がなぜこうなったのかを理解するうえで避けて通れない4。地獄から始まり、理想(らしきもの)を目指した5年間。焼け跡から立ち上がるその過程は、理想主義と現実主義のせめぎ合いであり、結局「どっちつかず」なまま現代に続いているのがまた…何とも言えない、というか、それが日本の様式美という気もしてくる。

1.1 GHQ統治と日本国憲法の制定

1.1.1 GHQによる間接統治の始まり

1945年、日本は敗戦と同時に主権国家としての機能を一時停止し、連合国軍、正確には連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の支配下に入った5。トップに立ったのはアメリカのダグラス・マッカーサー元帥6。以後約7年間にわたって、GHQが日本の内政に深く関与し、「非軍事化」と「民主化」という二大原則に基づき、国家の再構築が図られることとなる7


この統治体制は「間接統治」という形をとり、形式上は日本政府が政策決定機関として機能するが、実際にはGHQの指令が絶対であった8。内閣はマッカーサーにお伺いを立てる事務局のようなもので、もうそれはほぼ「ホワイトハウス・ジャパン出張所」である。

1.1.2 憲法草案の誕生と第9条の導入

GHQの中でも特に内政改革を担ったのが民政局(Government Section)で、ここに在籍していたアメリカの法学者たちが、後に憲法改正に関する最も重要な作業を行うことになる9。大日本帝国憲法(明治憲法)は、天皇主権を定めた19世紀型の古典憲法であり、GHQにとっては「改正」というより「完全リプレース案件」として映っていた。


しかし、最初に日本側が出してきた改憲案がまたひどい。相変わらず天皇主権は残すし、軍隊の保持も温存。これに対してマッカーサーは激怒し、「じゃあもうアメリカ側で草案作るわ」となり、民政局に憲法案の起草を命じた。ここで伝説の「3日で書いた憲法草案」が誕生する10。3日で国家の基本法を書くってどうなのか。しかもそれを約100年後も国民が議論しているという事実。こんなにコスパのいい立法ある?


さて、この草案には後に話題を呼ぶあの憲法第9条――戦争放棄の条文が含まれていた。よく「GHQの押しつけ」みたいに語られるが、ここにはちょっとしたツイストがある。実はこの条文の発端は、マッカーサー自身の口頭指示に基づいている。1946年2月、彼は民政局に「日本は今後、戦争を一切放棄し、軍隊も持たない」とする条項を含めるよう命じた11。つまり、最初に言い出したのは将軍様本人である。

1.1.3 日本国憲法の公布とその影響

しかも、このアイデアを聞いた当時の日本の首相幣原喜重郎もノリノリだったという説がある。幣原は自らマッカーサーに「戦争放棄を憲法に入れてはどうか」と提案したと証言しているが、マッカーサーも「いや、それ俺が言ったんだけど」と主張しており、永遠の「どっちが言い出しっぺ問題」となっている。なお真相は不明。


ともあれ、草案に基づく形で日本政府も修正作業を行い、1946年11月3日(奇しくも明治天皇の誕生日)に新憲法は公布された12。そして1947年5月3日、日本国憲法が施行され、明治憲法体制は正式に幕を下ろした。


この憲法は象徴天皇制、基本的人権の尊重、そして戦争放棄を柱とし、戦後日本の骨格を決定づけることになる。第9条に関しては、後の冷戦構造や自衛隊の創設によって様々な「解釈の変遷」が加えられることになるが、それはそれ、これはこれ。当時としては、「とにかく日本は戦争をしない、武力を持たない」という前提で新しいスタートを切った、という事実が重要である。


ちなみにこの第9条、戦後日本の外交イメージにも多大な影響を与え、国際社会では「日本=平和国家」というイメージが定着することになる。中身がどうかはともかく、パッケージとしてはかなりうまくいった感がある。広告代理店が泣いて喜ぶブランディング。

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参考:
日本占領史1945-1952 - 東京・ワシントン・沖縄 福永 文夫 (著)
日本国憲法の誕生 古関 彰一 (著)
ポスト戦後日本の知的状況 (講談社選書メチエ) 木庭顕 (著)

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