
3.3 消費拡大とブランド信仰の時代
目次
3.3.1バブル時代の消費行動と高級ブランドの社会的意味
バブル経済とは何だったのか――それは一言で言えば、「金が余りすぎて、欲望に名前をつけ始めた時代」である。土地と株で膨れ上がった資産を手にした人々は、次に“自分を飾る”ことに熱中した。投資が終われば、あとは消費だ。もう使い道がないなら見せびらかせばいい。そうして始まったのが、ブランド信仰という名の社会現象だった。
1980年代後半から1991年にかけて、日本中が“モノを買うこと=ステータスの証明”という幻想にどっぷり浸かった。消費は自己実現、もしくは他者マウントの手段1。高級ブランドのバッグや時計、ファッション、外車、高層マンション、海外旅行――持っているものが自分の“格”を決める時代。ラベルで人を見るという、なんとも洗練された物質主義が、ここに爆誕した2。
3.3.2消費文化におけるDCブランドと“見せる生活”の台頭
象徴的なのが、ルイ・ヴィトン、エルメス、シャネル、グッチなど、いわゆる“舶来ブランド”の爆発的人気。今でこそ珍しくないが、当時はこれらのブランドバッグを持っていることが、「ちゃんとした大人の証明」だった3。ヴィトンのモノグラムが、まるで国民共通のパスポートみたいに扱われ、駅ビルでもOLたちがこぞって購入。別に何を入れるわけでもないけど、「これを持っている私」こそが重要。要するに、バッグを買ったんじゃなくて、“立場”を買ってたのだ。
加えて、バブル期の消費には一種の「上昇シミュレーション」としての意味合いもあった4。田舎出身の若者が上京し、スーツを着て、ブランド物を買って、外車に乗って、夜は高級バーで一杯――それは彼らにとって“成功者っぽい生活”の再現だった。実際に成功してるかどうかはさておき、「それっぽく振る舞うこと」が、重要な戦略だったわけである。ハリボテの自尊心でも、磨けば光ると信じていた時代、とも言える。
この消費文化を牽引したのが、いわゆるDCブランドブーム(“Designer & Character”ブランド)だ。コム・デ・ギャルソン、ヨウジヤマモト、イッセイミヤケなど、日本発の個性派ブランドも台頭し、ファッションは自己表現の場として過熱した5。ちなみにこれらは今もちゃんと評価されているが、当時は「着てるだけで知的に見える」「よく分からないけどカッコいい」とされる不思議なアイテム扱いだった。ほぼ呪術である。
3.3.3ジュリアナと恋愛至上主義:バブル的ライフスタイルの全貌
そして都市部では、消費のための「舞台装置」が整備されていく。高級ブティックが立ち並ぶ青山・表参道、デートの聖地・六本木、そしてジュリアナ東京のような超大型ディスコが、若者文化の拠点となった6。バブル期の消費とは、単なる「モノ」だけでなく、「時間」と「空間」そのものを買う体験だった。昼はブランド、夜はボディコンと羽扇で踊る――それが「イケてる人」のテンプレだったのだから、今の感覚ではもはや異世界ファンタジーである。
そしてもうひとつ忘れてはいけないのが、結婚・恋愛ですら「消費の一部」になっていたという事実だ。男性は「車はBMW、時計はロレックス、スーツはアルマーニ」、女性は「ブランドバッグに美容整形」なんて話が平然と語られ、結婚情報誌は「年収1000万以上の男と出会う方法」を特集7。“恋愛の勝ち負け”までが資産で測られた時代。婚活というより、買い物リストに近かった。
バブル期の消費拡大は、経済の側面だけを見れば華やかな成功物語に見える。だが、その実態は「見せかけの幸福」を競い合う、終わりのない虚栄ゲームだったとも言える。クレジットカードで買い物をし、ローンで生活を飾り、ボーナス払いでブランドを手に入れ、そして全員が「今が永遠に続く」と信じていた8。
でも、永遠なんてない。やがて、ブランドバッグは重くなり、ディスコのフロアも閑散とし、クレジット明細に目を背ける日々が訪れる。その時はまだ誰も気づいていない。あの消費の熱狂は、夢のピークではなく、崖の一歩手前だったということに。
参考:
戦後日本経済史 日本経済新聞社 (編集)
日本経済史1600-2000: 歴史に読む現代 浜野 潔 (著)
バブル:日本迷走の原点 永野 健二 (著)
日本不動産業史―産業形成からポストバブル期まで― 橘川 武郎 (編集), 粕谷 誠 (編集)
バブル文化論 原宏之 (著)
狂気とバブル チャールズ・マッケイ(著)、塩野未佳(訳)、宮口尚子(訳)
アッコちゃんの時代 林 真理子 (著)