
4.3 政治の混迷と首相の短命化
目次
4.3.1 リクルートから始まる短命政権ラッシュ
1990年代の日本政治を一言で表すなら、「とりあえず総理替えとけ」の時代である。経済は長期低迷、社会は不安定化、若者は未来を見失い、官僚は無表情――そんな国を率いるべき首相が、まるで回転寿司のネタみたいに次々と変わった。うまいかまずいかは別として、とにかく回ってた。
これが「短命政権ラッシュ」と呼ばれる、令和まで続く“総理の椅子が熱すぎて誰も長く座れない現象”の始まりである1。
1989年、リクルート事件で竹下登が辞任し2、続く宇野宗佑は女性スキャンダルでわずか69日で退場。いきなりギネス級のスピード記録を更新してしまう。そこから政治は迷走に迷走を重ね、「リーダーシップ? それ何味ですか?」状態が続く。1990年代には10年間で8人の総理大臣が誕生するという、もはやギャグ漫画のテンポ感で政権交代が行われた。
4.3.2 自民党体制の崩壊と政界のバラバラ構造
背景にあったのは、長年続いた自民党一党支配の揺らぎである3。1955年体制と呼ばれる、いわば“自民党と社会党の仲良くケンカしな”構造がついに破綻。
1993年には非自民・非共産の細川護熙政権が誕生し4、戦後初の本格的な政権交代が実現する。ついに自民が野党へ――なのに、細川政権はたった263日で終了。後に続いた羽田孜(約2カ月)も速攻で退場し、まるで政権のプロトタイプ試作会みたいな様相だった。
こうして国民の政治不信は高まり、「結局誰がやっても一緒なんでしょ」という空気が蔓延する。ちなみにこの時期、「首相の顔が覚えられない」という国民の嘆きがニュースでもネタにされた。学校の社会科の教科書編集者が一番かわいそうだった説すらある。
そして、政権交代だけでなく、政党自体もぐちゃぐちゃになる。新党さきがけ、日本新党、新進党、民主党など、新党が雨後の筍のように誕生するが、くっついたり離れたり、名前を変えたりと、国民からすれば「え、それ前と違う党? 同じ人じゃん?」という謎の光景が広がった5。政界は顔と名前が一致しないまま話が進んでいく。
4.3.3 リーダー不在が経済と社会を劣化させた
このような政治的混迷は、経済政策にも大きな影を落とす。首相がコロコロ替われば、方針もぶれる。中長期的な戦略は立てられず、その場しのぎの対応ばかりが積み重なる。これが後の構造改革の遅れや6、財政赤字の拡大、不良債権処理の長期化につながっていく7。
要するに、バブル崩壊という巨大な津波が来ているのに、指揮官が毎回違う人で、マニュアルも書き直されてるような状態だったのだ。
また、この時代の政界再編は、「政治家は理想で動くより、生き残るために動く」ということを国民にまざまざと見せつける機会にもなった。選挙対策、派閥抗争、密室談合8、すべてが生々しく、政治の現実はニュースの中より裏のほうがドラマチックだった。
つまり、1990年代の政治の最大の問題は「無能」ではなく、「定まらなさ」だった。右か左か、保守かリベラルか以前に、「誰が何をしたいのか分からない」が問題だった。国民にとっては、明日の天気より不安定な首相の椅子に、もはや期待する気力すら失われていった。
この時代の政治は、「リーダーシップの空白と選択肢の迷子」であり、経済や社会に希望が見えなかったのは、政治がまず鏡の中で迷子になっていたからかもしれない。首相の名は変わるが、混迷の本質は変わらず、“誰も責任を取りたがらない社会”がここで完成しつつあった。
参考:
戦後日本経済史 日本経済新聞社 (編集)
平成はなぜ失敗したのか 「失われた30年」の分析 野口悠紀雄(著)
増補新版 歴代首相物語 御厨 貴 (編集)
政党政治の混迷と政権交代 樋渡 展洋 (編集), 斉藤 淳 (編集)
首相支配―日本政治の変貌 竹中治堅 (著)