
5.2 格差社会と「勝ち組・負け組」の登場
目次
5.2.1 自己責任社会の誕生と勝ち組ブーム
小泉改革によって日本社会に持ち込まれたのは、単なる民営化や規制緩和だけではなかった。それはもっと根深くて、もっと社会の空気を変えてしまうものだった――“競争を前提とした生き方”である1。
そして2000年代前半、日本ではじわじわと、しかし確実に「勝ち組・負け組」という言葉が日常語になっていく。
かつての日本は、「みんな中流」「努力すれば報われる」みたいな建前が妙に強い“横並び文化”だった2。しかし、小泉政権の掲げた「自己責任」「成果主義」「構造改革」がそれをぶっ壊す。
「がんばった人が報われるのは当然だ」
「結果を出さない者が苦しむのは仕方ない」
この論理は、ある意味ではまっとうに聞こえる。でもそれが政策の中核になると、“結果だけで人間の価値を測る社会”が出来上がる。
5.2.2 メディアと格差煽動:生活のランキング化
テレビも雑誌もニュースも、こぞってこの二項対立を煽りはじめた。
「年収1000万以上の男は勝ち組」
「正社員は勝ち組、派遣は負け組」
「港区に住んでる? 勝ち組!」
このノリで“生活そのものがランキング化”され3、いつの間にか社会は「勝つか負けるか」の二択で生きる空間になった。
中間がいない。グレーゾーンが存在しない。「普通」すら敗北として扱われる地獄の価値観の誕生である。
しかもこの構造は、メディアや企業にも都合がよかった。勝ち組を紹介すれば“夢”が売れるし、負け組を取り上げれば“安心感”が売れる。両方コンテンツになるから、広告もつく。つまり、格差そのものがビジネスモデル化されたのだ4。これは「格差社会」としての本質的な恐怖でもある。
5.2.3 底なしの自己責任論と社会の分断
しかし実際には、この勝敗を決めるルールは極めて不平等だった。
非正規雇用の拡大、年功序列の崩壊、終身雇用の後退、地域格差、学歴フィルター――あらゆる前提条件が「勝てる人」を選別しやすい形に変化していく5。
言い換えれば、勝ち負けは個人の能力ではなく、「最初にどの椅子に座らされたか」で9割決まる」ようになっていった。
そして社会には二つの現象が現れる。
一つは「過剰な自己責任の内面化」。
負けたのは努力が足りなかったから。
うまくいかないのは自分の甘さ。
社会の問題を、自分個人の問題として背負い込む若者が増え、自尊心をすり減らしながら“がんばり教”の信者になっていく6。
もう一つは「勝ち組の麻痺」。
“俺は自分の力でここまで来た”と思い込む勝者たちは、偶然や環境、運の影響を忘れ、失敗者を見下すようになる。
その結果、社会の連帯は分断され、「負けた者は黙ってろ」という空気が蔓延していく。
当然、格差が広がれば、消費も伸び悩む。勝ち組は財布を閉じないが、負け組は財布を開けられない7。経済全体が“上の層”だけで回る構造は、極めて脆い。
それでも、政治はこの“競争社会”に再調整のブレーキを踏まなかった。
むしろアクセルを踏んだ。
だって、勝ち組の支持が欲しかったから。
最終的にこの構造は、日本社会を「努力すれば何とかなる社会」から「最初からレースのコースが違う社会」へと変えていった。
中高生が「どうせ頑張っても無駄」と口にするようになったのは、この頃からだ。
つまり、“格差”とは経済現象だけじゃない。空気の問題であり、心理の問題であり、価値観の再設計だったのだ。
そして私たちは今も、その勝ち負けゲームの盤面の上に座らされている。
出典:
戦後日本経済史 日本経済新聞社 (編集)
平成はなぜ失敗したのか 「失われた30年」の分析 野口悠紀雄(著)
デフレの正体 経済は「人口の波」で動く 野口 悠紀雄 (著)
増補新版 歴代首相物語 御厨 貴 (編集)
政党政治の混迷と政権交代 樋渡 展洋 (編集), 斉藤 淳 (編集)
最新版 改正労働者派遣法がわかる本 【全条文付】 大槻 哲也 (監修), 加藤 利昭 (著)
小泉純一郎 ポピュリズムの研究―その戦略と手法 大嶽秀夫 (著)
小泉純一郎と安倍晋三 超カリスマの長期政権 大下英治 (著)
小泉純一郎と竹中平蔵の罪 佐高信 (著)
比較外交政策 イラク戦争への対応外交 櫻田大造(編著),伊藤剛(編著)