
6.3 デフレ脱却の難航と日銀の対応
目次
6.3.1 日本経済を蝕んだ「悪いデフレ」とは何か
デフレとは何か? 簡単に言えば、「物の値段が下がること」だ。
でも、ここが落とし穴。「安く買えるってことは、ラッキーじゃん?」なんて思ったなら、完全に罠にハマっている。
日本が2000年代から本格的に直面していたのは、“悪いデフレ”である1。
それは、物の値段が下がるだけでなく、企業の売上が減り、給料が下がり、将来が不安になり、誰もお金を使わなくなって、景気が冷えきるという、負のスパイラルを伴う経済現象だ。
リーマンショックを契機に、そのスパイラルは氷河期の再来みたいな勢いで回転し始める。
この時期、企業はコスト削減のために値下げ競争を強いられ、小売業界では「価格破壊」がキーワードに。
100円ショップは拡大し、ユニクロは絶好調。「安い=正義」の価値観が支配し始める。
でもその裏で起きていたのは、価格が下がった分、労働者の賃金も下がるという、まさに「一緒に沈もう」式の連鎖だった。
6.3.2 金融政策の空転:日銀の慎重姿勢とその代償
で、ここで出てくるのが我らが日本銀行。中央銀行、金融政策の司令塔。
彼らに期待された役割は、「この冷えた経済を温めて、物価を安定させてくれ」というもの。
言い換えれば、「缶コーヒーをチンして飲める状態に戻してくれ」だ。
しかし当時の日銀、特に福井俊彦総裁(2003〜2008)〜白川方明総裁(2008〜2013)期は、これがとにかく慎重すぎる慎重派。
アメリカやヨーロッパの中央銀行が金融緩和をガンガンやっていたのに対し、日本は「様子を見よう」「市場に任せよう」「インフレの副作用が怖い」と一歩も二歩も引いていた。
その結果、“何もしないで悪化する様子を見てるマン”化していた。
しかも、当時の日銀のインフレ目標は曖昧で、「物価は安定してるから大丈夫」「過度な金融緩和はバブルの再来」みたいな主張が幅をきかせていた。
たしかにバブルの記憶は痛かった。
けど、それを恐れるあまり、経済の血流が止まりかけてる患者に、ぬるま湯しか点滴しなかったのがこの時代の日銀である2。
6.3.3 政府と日銀の連携不全とデフレ社会の固定化
政府と日銀の連携も悪かった。
政府は財政支出を抑制しつつ、日銀に「もっと金を出せ」と言い、日銀は「財政出動しないなら効果ない」と返す3。
つまり、経済という火事場で、ホースを持った二人が「お前が先に水出せ」と言い合ってた状態。
結果、デフレは「一時的な不況」ではなく、「構造として定着した経済の病気」になってしまう。
人々は将来への不安から貯蓄を増やし、消費を減らし、企業は投資を控え、賃金を抑え、そしてまた物が売れず、価格は下がる。負のスパイラル、完成です4。
このデフレの空気は、社会の空気にもじわじわと染み込む。
- 企業は「守りの経営」へ
- 若者は「慎ましい夢」しか見なくなる
- 社会全体が「節約」を美徳とするようになる
つまり、“希望に金をかける文化”が壊滅する。
ちなみに、アメリカや欧州中央銀行(ECB)がリーマン後に量的緩和(QE)を積極的に進めていたのに対し、日本は遅れた対応+説明下手+政策効果の弱さの三重苦で、デフレ脱却のチャンスを何度も逃した。
リーマンショック後の日本経済は、デフレという沼の底で日銀の慎重さによりさらに足を取られる構図だった。
冷えた空気の中、誰も火をつけようとせず、むしろ「この冷たさも悪くない」と思い始めるレベルで、“寒さに順応した経済”が形成されていった。
出典:
戦後日本経済史 日本経済新聞社 (編集)
平成はなぜ失敗したのか 「失われた30年」の分析 野口悠紀雄(著)
政党政治の混迷と政権交代 樋渡 展洋 (編集), 斉藤 淳 (編集)
最新版 改正労働者派遣法がわかる本 【全条文付】 大槻 哲也 (監修), 加藤 利昭 (著)
リーマン・ショック・コンフィデンシャル上 追いつめられた金融エリートたち 上下 アンドリュー ロス ソーキン (著), 加賀山 卓朗 (翻訳)
日本銀行と政治 金融政策決定の軌跡 上川龍之進 (著)
日銀漂流 試練と苦悩の四半世紀 西野 智彦 (著)
リーマン・ショック 元財務官の回想録 篠原 尚之 (著)
政権交代の内幕 上杉 隆 (著)
民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか? 神保 哲生 (著)