
目次
1. 欧州連合(EU)とは?成立の背景と目的
ヨーロッパ連合(EU)とは、27か国(※2025年現在)が加盟する、経済・政治・社会にまたがる超国家的組織である。設立の根底には、「またヨーロッパで戦争を起こして全世界を巻き込むのは、もうマジでやめよう」という壮大な人類反省会があった。そんな悲しみと希望を背負いながら、EUはただの経済同盟を超え、国家間の枠組みをも超越する統合体へと成長してきた。とはいえ、その道のりは平坦ではなく、裏では罵り合い、椅子を投げ合いながらもなんとか続いている。
以下では、その成立の背景と目的について、噛み砕いて説明してみよう。
1-1. 第二次世界大戦後のヨーロッパ再建
第二次世界大戦(1939~1945年)は、ヨーロッパの広範囲を瓦礫と絶望の海に変えた。都市は崩壊し、経済は死に体、数千万人単位の人間が死亡、負傷、または行方不明という状態だった。要するに、国全体が「スマホの充電ケーブルだけ持って無人島に流された人」みたいな無力さを味わっていたわけだ。 そんなボロボロの中、各国のリーダーたちは知恵を絞った。「なあ、今度こそ仲良くしないとガチで詰むんじゃね?」という、今さら感満載の結論に達したのである。
アメリカからのマーシャルプラン(経済復興援助)1を受けつつ、ヨーロッパ諸国は協力して復興を進める道を模索し始めた。目的は、経済再建だけではない。隣国と絡んでしまったらまた戦争、みたいな伝統芸を封じるために、経済レベルで相互依存させるという、ある意味で“喧嘩できないくらいにベタベタにくっつける”作戦だった。
1-2. 欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)からの発展
「仲良くする」といっても、手をつなぐだけじゃ世界は救えない。そこで考え出されたのが、1951年に発足した欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)2だ。
加盟国は、フランス、西ドイツ(当時)、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの6カ国。要するに、経済の基盤となる石炭と鉄鋼産業を共同管理しようという試みだった。 ここでのミソは、「戦争したかったら鉄も石炭も必要だよね? じゃあ、それを共有しちゃえば戦争できなくない?」という、物資を人質に取るタイプの平和戦略。発想が小学生の喧嘩仲裁みたいだが、意外にもこれが功を奏した。 ECSCは成功を収め、次第に「じゃあ他の分野でも一緒にやっちゃう?」という流れに。
1967年には、欧州経済共同体(EEC)3と欧州原子力共同体(EURATOM)4と合体して、統合が加速。こうして、EUへの道が開かれていったわけだ。ほぼ合コンから付き合う流れと同じである。
1-3. 平和・経済成長・政治統合を目指す理念
ECSCやその後の統合を経て、ヨーロッパは明確な3つの理念を掲げることになった。
- 平和の維持
- 経済成長の促進
- 政治的統合の深化
「平和の維持」はもうお馴染みのテーマだが、EUにとっては生存戦略そのもの。過去に二度も世界大戦を引き起こしておきながら、懲りずにまたやらかすわけにはいかなかった。
「経済成長の促進」は、豊かさこそが平和を支えると信じた結果だ。実際、豊かな国(フランスとか)はケンカを面倒くさがる傾向がある。
「政治的統合の深化」は、国境を超えたルール作りと共同運営を目指すものだ。EU憲章(リスボン条約)5などを通じて、各国の主権を残しつつ、共通の目標に向かう――みたいな、ギリギリのバランスゲームを永遠にやっている。
そしてこれらすべては、「ヨーロッパの過去の愚行を繰り返さない」という、壮大な自戒の上に成り立っている。人間という生き物の、ほんのちょっとの進化の証明でもある。
【第1回】総括:EUという「やらかしの反省会」から始まった壮大な共同生活
ヨーロッパ連合(EU)は、単なる経済連携を超えた、歴史の自戒と人類の希望が詰まった超国家的プロジェクトである。第二次世界大戦の壮絶な反省を土台に、再び戦争を避けるための手段として「経済的にガチガチに依存させる」という戦略が生まれた。その象徴が、1951年に発足した欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)であり、ここからEUの進化が始まる。
共通の理念は三つ。「平和の維持」「経済成長の促進」「政治統合の深化」。これらを掲げながら、各国は揉めつつも共通ルールのもとで未来を模索し続けてきた。つまり、EUは「過去の過ちから生まれた大人の学級会」であり、その根幹は「戦争がダルいからやめようぜ」という、わりと本気の現実主義でできている。
参考書籍・サイト:
本音化するヨーロッパ 裏切られた統合の理想 (幻冬舎新書) 三好範英 (著)
ユーロ危機とギリシャ反乱 (岩波新書) 田中 素香 (著)
ヨーロッパ統合史 名古屋大学出版会
欧州委員会(European Commission)公式サイト