シューマン宣言とは? EU統合の原点(1950年)【第1回】

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シューマン宣言第1回

目次

1. シューマン宣言とは何か?その内容と背景を解説

人類の歴史は、「またお前か、ブルータス」という感じで戦争と復讐を繰り返してきたわけだが、そのループに飽き飽きした賢い人たちがついに「違う方法、試してみない?」と正気を取り戻した瞬間がある。それが1950年5月9日――そう、シューマン宣言の日だ。誰だよシューマンって?って思ったあなた、安心して。ちゃんと説明するから。


1-1. シューマン宣言の定義:1950年5月9日に何が語られたのか

1950年5月9日、フランスの外相ロベール・シューマンが歴史に一石を投じた1。それは「フランスとドイツをはじめとするヨーロッパ諸国の石炭と鉄鋼の生産を、共同で管理しようじゃないか」という提案だった。

「フランスとドイツの石炭と鉄鋼の生産を、ヨーロッパ諸国に開かれた組織の枠内で、共通の高等機関の下に置くことを提案する。」

 ― シューマン宣言(1950)

え?地味?そう聞こえるかもしれないけど、これは「これからは一緒にやってこうぜ(しかも武器作りの材料も管理するぜ)」っていう超・重要提案。つまり、これを通じて「戦争を起こす動機も手段も、みんなで封印しよう」としたのだ。石炭と鉄鋼は当時、戦車も大砲も作るために欠かせない素材2。なので、それを共同で管理するというのは、「ケンカ道具を共同ロッカーに入れて鍵を共有する」レベルの大胆な平和戦略だった。

この発言がのちのEU(欧州連合)へとつながっていくことになる。なんと、全てのEUの源流はこの「石炭と鉄」から始まったのだ。うーん、ロマンがあるような、ないような。少なくともシューマンは歴史にちゃんと爪痕を残した。しかも、いい意味で。


1-2. 背景にある歴史的文脈:第二次世界大戦後のヨーロッパの混乱

第二次世界大戦後、ヨーロッパはまるで宴会後の居酒屋みたいにボロボロだった。国境はぐちゃぐちゃ、経済は崩壊、信頼はゼロ、戦争のトラウマだけは目に見えて散らかっている。特にフランスとドイツの関係は最悪で、もはや「顔も見たくない」レベル。なにせ2回も世界大戦でボコボコにやり合ってるのだから。

そんな状況で、「またやるの?三度目の正直ってやつ?」という不安が漂う中、ロベール・シューマンが冷静な声で提案をした。石炭と鉄鋼の共同管理は、単なる経済協力ではなかった。これは、敵だった国同士が手を取り合って未来を作るという、超レアな歴史的イベントだったわけだ。

なお、当時は冷戦も始まっており、ソ連(今でいうロシア系の集合体)との対立も深まっていた3。西ヨーロッパとしては「内部でケンカしてる場合じゃない」という危機感もあった。そう、敵がいると結束が強まるやつ。悲しいけど、これ、習性なんだよね。


1-3. 共同体構想の意図:石炭と鉄鋼による「戦争を不可能にする」考え方

「戦争を不可能にする」って、まるで魔法か宗教みたいなセリフだが、シューマン宣言はそのくらい理想的だった。戦争の源である軍需産業を、国家が独占せずに「みんなでシェアしよう」という構想。現代のあような「シェアリング」が好きそうな発想を、70年以上前に提案してたわけ。えらいよね。

「このようにして生まれる生産における連帯は、フランスとドイツ間の戦争が『考えられない』だけでなく、『物理的に不可能』になることを明確にする。」

― シューマン宣言(1950)

この共同体構想は、実はフランスだけの思いつきではなく、経済学者ジャン・モネ4のアイディアがベースになっている。モネは、強制ではなく自発的な協力によって統合を進めるという「機能主義」の立場を取っており、それをシューマンが外交の舞台で言語化した、というのが真相。

最初は6カ国(フランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス三国)5だけだったけど、「なんかこのクラブ、良さそうだぞ」と他の国も少しずつ入っていくようになり、それが今のEUの母体になったわけ。

1-4. 国際政治における画期性:なぜシューマン宣言は「歴史を変えた」と言われるのか

さて、ここが核心部分。なぜこの宣言が、ただの政治的スピーチではなく「歴史を変えた声明」とまで称されるのか。まあ、普通に考えたら、「なんかフランスの外相が経済の話したんでしょ?地味だな」って感じだと思う。でもこれ、国際政治のルールブックを書き換えた級の出来事なんだよ。すごいぞ、シューマンおじさん。

まず、シューマン宣言は国際協調の枠組みとして「国家主権の一部を超国家的機関に委ねる」という考えを打ち出した初めての本格的事例だ。それまで国といえば「俺の国は俺のもの。他人が口出すな、失せろ」っていう主張が当然だった。だがこの宣言は、「主権を少しずつ共有することで、平和と繁栄を手に入れよう」という道を示した。

この「主権の共有」というコンセプトが、後のECSC、EEC(欧州経済共同体)6、そして現在のEUへと発展していく。いわば、ヨーロッパ版の「仲良くする契約書」の始まり。しかもこれ、条約じゃない。宣言だ。ただのスピーチで、世界を動かし始めた。

もう一つの画期性は、仮想敵ではなく「共通の利害」を軸に協力が組まれた点。冷戦構造の中、多くの国が「敵がいるから味方になる」式の同盟(例:NATO)7を結んでいた。でもシューマン宣言は、「敵を作らずに味方になる」方法を模索した。戦争の代替案としての統合。正直、人類にしてはかなりスマートな判断だった。なんで今それができないんだろうね?不思議。

「共通の利益に基づく融合が迅速かつ自然に達成され、長く血にまみれてきた国々の間に、より広く深い共同体が芽生えるであろう。」

― シューマン宣言(1950)

さらに、この構想は当時のヨーロッパの市民たちにとっても新しい希望となった。戦争に疲弊し、瓦礫の中で未来を見失っていた時代に、「また戦うのではなく、共に立て直そう」というビジョンが投げかけられた。単に経済のためだけではなく、「人間として、もう一度信じ合うための仕組み」が提案されたってわけ。

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参考・出典:

ヨーロッパ統合史 名古屋大学出版会

【世探704】詳説世界史 山川出版

欧州委員会(European Commission)公式サイト

  1. ロベール・シューマン(1886–1963):フランスの政治家で、戦後ヨーロッパ統合の父とされる。シューマン宣言の名の由来でもある。
  2. 石炭と鉄鋼:産業革命以降の工業国家にとって軍需・重工業の基盤となる重要資源。特に20世紀前半は兵器製造と直結していた。
  3. 第二次世界大戦後のアメリカ(西側)とソ連(東側)を中心とするイデオロギー・軍事的緊張状態。1947年頃から1991年まで続いた。
  4. ジャン・モネ(1888–1979):フランスの実業家・政治家で、欧州統合の設計者とされる。シューマン宣言の立案に深く関与した。
  5. ベネルクス三国:ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの三国を指す。戦後早期から欧州統合に積極的だった。
  6. EECは1957年のローマ条約に基づき設立された共同市場。EUの直接的前身。
  7. NATO(北大西洋条約機構):1949年に結成された西側諸国の軍事同盟。ソ連に対抗するための集団防衛体制。

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