
目次
2. シューマン宣言が与えた影響:EUの誕生までの道のり
1950年5月9日──この日がきっかけでヨーロッパは「また戦争やる?」ではなく「一緒に経済やらない?」という方向に進み始めた。では、実際にどうEUにつながっていったのか。口先だけじゃ歴史は動かない。行動に移したその後の物語が、まあまあドラマチックなのだ。
2-1. ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)の設立:統合の第一歩
シューマン宣言の翌年、1951年に調印されたのが「欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)」の設立条約。石炭と鉄鋼の生産をフランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの6カ国で共同管理するという、前代未聞の取り組みだった。いや、今でもあんまり聞かないよ?他国と原材料の管理をガチで共有するなんて。だって普通は疑心暗鬼になる。「お前んとこの鉄、ちょっと多くね?」みたいなやつ。
ECSCの本部はルクセンブルクに置かれ、超国家的な機関が設立されて運営を担った1。これが「主権を一部手放して共通ルールでやっていく」という、まさにEU的発想のはじまり。言い換えれば、「自分たちのルールでしかやりたくない病」を克服しようとした試み。
結果として、ECSCは経済的な回復とともに、フランスとドイツという因縁深い2国の協力関係を深める装置となった。つまり、「元敵国と一緒にビジネスしてみたら、意外とウィンウィン」だった。
一方で、シューマンもジャン・モネも「これだけで終わりじゃないからな」と思っていた。
2-2. 欧州統合の発展:ローマ条約からEUへ
ECSCがまぁまぁうまくいったので、人間たちは調子に乗った。次に来たのが1957年のローマ条約。これによりEEC(欧州経済共同体)とEURATOM(欧州原子力共同体)2が設立された。EECは関税の撤廃や共通市場の創出を目指し、EURATOMは原子力の平和利用を目指した共同体。…原子力?いや、それ急に難易度高くない?
でもまぁこれで、ヨーロッパ諸国はエネルギー、資源、貿易といった生命線を共同で管理するという、もはや「おままごと」じゃないレベルの本気統合に突入。ここから、さらに統合の度合いは深まっていき、1993年のマーストリヒト条約3でついに「EU(欧州連合)」が誕生した。長かったな、おい。43年かかってる。
ちなみにこの条約では、通貨統合(つまりユーロ)や共通外交・安全保障政策も検討された。まるで恋人同士が「部屋も鍵もお財布もシェアしよう」って言い出す感じ。うまくいけばいいけど、ちょっとでも価値観ズレたら即地獄。それがEU。
2-3. 現代EUとのつながり:理念はどう受け継がれているか
じゃあ今のEUに、シューマン宣言の精神はちゃんと残ってるの?というと…まあ、うん、ところどころ残ってる。「仲良くしようぜ」「共同でやればケンカしなくて済むよね」っていう発想は基本にある。ただし、現実はもうちょい複雑。
たとえば、移民問題、財政格差、ブレグジット(イギリスのEU離脱)など、思ったより「仲良くする」って難しい。意見の違う国が28(今は27)も集まって、全員納得の政策を決めるなんて…それはもう、地球レベルのグループワーク。たぶん誰も参加したくないやつ。
それでも、ウクライナ情勢4や気候変動への対応、新型コロナ対策など、EUは国境を越えた課題に対して協力して対応している。つまり、シューマン宣言が種をまいた「共同の利益に基づく統合」という精神は、ギリギリのバランスで生き残っている。まるで、がんばってる中間管理職みたいに。
参考・出典:
ヨーロッパ統合史 名古屋大学出版会
【世探704】詳説世界史 山川出版
欧州委員会(European Commission)公式サイト