
3.5 バブル崩壊の引き金とその影響
目次
3.5.1金融引き締めと資産バブル崩壊のメカニズム
1991年、日本のバブル経済は静かに、しかし確実に崩壊した。まるで音もなくしぼむ風船のように。誰もが「なんか変だな」と気づきながら、誰も止められなかった。そして気づいたときには、株は暴落、地価は急降下、銀行は債権の山に埋もれ、夢は現実に引きちぎられていた。バブル崩壊とは、単なる経済の調整ではない。国全体の“目覚め”だった。しかも寝起き最悪の。
直接の引き金は、1989年末から1990年にかけて日本銀行がとった金融引き締め策である。加熱する資産バブルを鎮めるため、日銀は公定歩合(いわゆる政策金利)を段階的に引き上げ、流動性の蛇口を閉めにかかった。「そろそろ冷やそうぜ」と思ったわけだが、問題は、鍋の中身が既に煮えたぎった油だったこと1。少しでも冷やせば爆ぜるに決まってる。引き締めは正しかったが、遅すぎたし、一気すぎた2。
金利上昇により、資金調達コストが増し、借金まみれで土地や株を買っていた投資家や企業は一気に資金繰りに行き詰まる。資産価格は下がり始め、それがさらに投げ売りを誘い、負のスパイラルが発生3。1990年には日経平均株価が一気に2万円台に突入し、1992年には1万5000円台まで落ち込む。最高値からわずか数年で半額以下。不動産も同様で、都心の地価はピーク時の数分の一に暴落4。あれだけ「絶対下がらない」と信じられていた土地神話が、あっさり瓦解した。
3.5.2不良債権問題と「貸し渋り」時代の到来
企業は巨額の含み損を抱え、金融機関は不良債権に沈んだ5。借金で資産を買っていた者は、資産が目減りしながらも借金だけが残るバランスシート地獄に突入。いわゆる「貸し渋り」「貸しはがし」が始まり、企業倒産が激増し、雇用も縮小6。世紀末の社会現象みたいなことが、地味に、しかし広範に起きていった。派手な爆発ではなく、重たい沈没だった。
特に中小企業や若年層は、もろにその煽りを食らった。新卒採用は激減し、「就職氷河期世代」という不名誉なレッテルが登場する7。都市に夢を見て上京してきた若者たちが、駅前のハローワークでため息をつく風景は、バブルの広告に踊っていたあの時代と完全にコントラストをなした。もうジュリアナには行けない。ボディコンはタンスの奥。金はないし、希望も薄い。つまり、いきなり昭和が終わった。
3.5.3社会の価値観崩壊と“失われた10年”の始まり
この崩壊の深刻さを決定づけたのが、政府と日銀の対応の鈍さである。銀行は不良債権を「なかったこと」にしようとし、政治家は景気対策を後手後手に回した8。いわば“現実逃避型の経済運営”が、崩壊を長引かせた。1990年代はその後、「失われた10年」と呼ばれるようになるが、正確には「失われたのに誰も認めたがらなかった10年」だった9。
このバブル崩壊の影響は、単に経済成長が止まったというだけではない。社会全体の価値観が一度クラッシュした。
- 「頑張れば報われる」→報われない
- 「土地は安全資産」→超リスク資産
- 「会社は家族」→経費削減対象
- 「人生設計は計画通り進む」→そもそも入口が封鎖される
それまで信じていたあらゆる前提が音を立てて崩れていった。そしてその結果、人々は徐々に「慎重な選択」「低欲望社会」へと移行していくことになる10。つまり、バブル崩壊は経済の終焉であると同時に、一つの時代精神の死でもあった。
要するに、バブルとは「過剰な期待」と「全員の思い込み」が作り出した巨大な幻覚装置だった。そして崩壊とは、その幻覚が解けた瞬間に現れる、リアルな顔面打撲だった11。
第四章:失われた10年とデフレ時代(1991〜2001)へ続く
参考:
戦後日本経済史 日本経済新聞社 (編集)
日本経済史1600-2000: 歴史に読む現代 浜野 潔 (著)
バブル:日本迷走の原点 永野 健二 (著)
日本不動産業史―産業形成からポストバブル期まで― 橘川 武郎 (編集), 粕谷 誠 (編集)
バブル文化論 原宏之 (著)
狂気とバブル チャールズ・マッケイ(著)、塩野未佳(訳)、宮口尚子(訳)
アッコちゃんの時代 林 真理子 (著)