
7.5 平成カルチャーと「失われた世代」
目次
7.5.1 失われた世代と就職氷河期が生んだサブカルチャーの軌跡
平成という時代は、社会が「前に進んでいない」感覚とともに終わった。
それは政治や経済だけではなく、カルチャーの空気にもはっきりと刻まれている。
何かを生み出すというより、「かつての何か」をずっとなぞっていたような時代。
ノスタルジーに包まれた安心、現実逃避としてのエンタメ、身の丈に合った夢。
どれも、「時代が失速したとき、人々はどこへ逃げるのか」を如実に示している。
まず、平成のカルチャーを語るうえで欠かせないのが、“失われた世代”の存在だ。
これは、バブル崩壊後の1990年代から2000年代初頭に社会に出た、就職氷河期世代を指す1。
彼らは、努力しても正社員になれず、非正規や派遣としてキャリアを始めた2。
夢とか目標とかよりも、「どうやってこの社会を生き残るか」が人生設計の最初の問いだった世代だ。
7.5.2 平成アニメ・音楽と「内向きなリアリズム」
その影響は、平成のカルチャー全体に陰を落とす。
彼らが成長する過程で熱狂したのは、リアルな希望ではなく、架空の世界での逃避。
アニメ、ゲーム、マンガ、ネット文化――
そこにあるのは、「自分を認めてくれる居場所」「現実よりましなフィクション」「反転した世界での主役体験」。
現実が報われないからこそ、物語の中に“もしも”を求める構造が加速した3。
90年代後半の『エヴァンゲリオン』ブーム以降、平成カルチャーには一貫して“内向きで閉じた主人公”が多く登場する4。
彼らは外の世界と戦わない。むしろ外の世界に怯え、自己の中に引きこもる。
この構造は、後の『涼宮ハルヒ』『けいおん!』『僕だけがいない街』『Re:ゼロ』などへと継承され、
「自分は特別じゃないけど、特別になりたかった」という願望を、丁寧に、時に過剰に描き続けた。
音楽も同様である。J-POP全盛期を経て、平成中盤からは「等身大の孤独」や「癒やし」がテーマになった5。
BUMP OF CHICKEN、RADWIMPS、米津玄師…どれも歌詞に漂うのは、世界に受け入れられたいけど、傷つきたくないという自己防衛のにおいだ。
7.5.3 SNS時代の孤独と「変われなかった平成」の終焉
さらに、SNSの浸透が平成の終盤に拍車をかけた。
本音を言う場所は、現実ではなくタイムラインになり、
人間関係は“いいね”の数で測られるようになる6。
本音と建前、現実と虚構、表と裏――それらを意識せざるを得ない空気が、世代全体のコミュニケーション様式を決定的に変えた。
そしてなにより重要なのは、「変化を信じられない時代の空気」が常に平成を覆っていたこと。
政治は停滞、景気は回復せず、就職しても安定しない。
夢や成長の物語は虚しく響く。だからカルチャーも、「変わらないことの安心感」に収束していく7。
『ドラえもん』はずっと同じまま、
『ワンピース』は永遠に航海し、
『ジブリ』はノスタルジーをリサイクルし続ける。
過去が今を支配し、未来が描かれないまま時計の針だけが進んでいった。“失われた世代”は、ただ景気が悪かっただけの世代ではない。
それは、夢を持つ余裕を与えられず、大人になることの意味すら奪われた世代だ8。
彼らが社会の中核に差し掛かる頃、平成は終わった。
そして、令和を迎えた今もなお、その痛みは「空気」として日本社会に残っている。
第八章:コロナ禍とポストパンデミック日本(2020〜2023)へ続く