戦後から現代までの日本史【第一章/第五回】

1.5 戦犯裁判と戦争責任の整理

目次

戦後から現代までの日本史:経済復興・文化・政治・社会の変遷【第一章/第四回】

戦後から現代までの日本史:経済復興・文化・政治・社会の変遷【第一章/第四回】

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1.5.1東京裁判という「けじめ」の儀式

戦後の日本が直面した、最も重く、最も回避不能な問題。それが「戦争責任の整理」である。戦争が終わったからといって、はいリセット、とはいかない。国際社会は、「誰がこの戦争を始め、誰が人々を地獄に送り込んだのか」を明らかにし、けじめをつけることを求めた。そう、ここで登場するのが極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)1である。これは戦争犯罪を裁く国際法廷であり、敗戦国への「公開処刑」的な側面も含まれていた。事実を解明するというより、「お前らがやったんだろ?なあ?」という圧。

1946年5月3日、東京・市ヶ谷の旧陸軍省跡地にて東京裁判は開廷された。裁かれたのは28人のいわゆるA級戦犯――国際法上、「平和に対する罪」を犯したとされる政治家・軍人・外交官たち2。代表的なのは東条英機元首相をはじめとする日本政府の中枢メンバーで、彼らは戦争を計画・遂行した責任を問われた。ちなみにA級、B級、C級というのは罪の重さではなく種類であり、A級=戦争指導者、B級=通常の戦争犯罪(捕虜虐待など)、C級=人道に対する罪3、である。だからAが一番悪いとかそういうテスト形式じゃないから勘違いしないように。点数つけてるわけじゃない。

1.5.2裁かれた者、裁かれなかった者

この裁判、いろいろな意味で問題が多かった。まず、戦勝国による一方的な裁きだったこと。裁判官は連合国側11カ国から選ばれ、弁護側は日本人4。そもそも、開戦を合法とするかどうかの基準すらあいまいな時代に、事後的に「お前のやったことは違法だ」と断ずる構造には、明らかに矛盾があった。しかも「勝った側の犯罪は問われない」というルール。これ、裁判として成立してんの? という声も当然上がる。例えるなら、スポーツの試合で反則した側が審判もしてるようなものだ。フェアプレーとは。

それでも裁判は進み、1948年に判決が下される。東条英機ら7人が死刑5、16人が終身刑、2人が病死または精神疾患で裁判打ち切りという結果に終わった。この判決は、国民の間でも受け止め方が分かれた。ある者は「当然の報い」と考え、ある者は「スケープゴートにされた」と怒った。戦争指導層の責任を問う裁判ではあったが、本当に責任を取るべき者は全員裁かれたのか?という疑念は、今なお尾を引いている。

そしてもうひとつ、重要な存在がいた。昭和天皇である。東京裁判では、天皇の戦争責任は一切問われなかった。マッカーサーの判断によって、象徴天皇制としての地位を温存することになったからだ6。これには国民感情の安定を狙った現実的な配慮があったとも言われているが、一方で「最高権力者が免責された」という事実は、戦争責任の整理という点で決定的な“抜け”を生んだ。誰かが責任を取るべきだ、でも一番上の人は対象外――それって、なんというか、日本社会の“責任の所在が曖昧”という構造の原型みたいじゃないか。

1.5.3曖昧な清算と続く後遺症

さらに、地方ではいわゆるB級・C級戦犯が、アジア各地の戦犯裁判で裁かれた7。多くは中間管理職的な立場の将兵たちで、実行犯として過酷な責任を問われたが、その背後の命令系統や構造的責任は曖昧なままだった。「命令に従っただけ」の人々が処刑された一方で、指示を出した側はのうのうと生き延びるという、典型的な“下に厳しく、上に甘い”構図。これまた日本の風土に変ななじみ方をしてしまい、今に至るまで「責任は取らないが辞任はする」文化が残っている。ある意味、あのときの処理の仕方が、今の日本の「謝って終わり政治」や「なかったことにする文化」の起源と言ってもいい。

戦犯裁判の後、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効され、日本は主権を回復する8。しかし、その直前に多くの戦犯が恩赦や減刑で釈放され、なんならその後に政治家として復帰した者すらいた(岸信介など)9。つまり、「過去を清算したように見せかけて、帳簿にグレーゾーンを大量に残した」状態で、戦後の日本はスタートしたわけである。

総括すれば、戦犯裁判と戦争責任の整理は、戦後日本が避けては通れなかった通過儀礼であり、同時に「終わらなかった問い」を日本社会に植え付けた出来事でもある。裁かれた者と裁かれなかった者。責任を取ったふりをした者と、何も語らなかった者。そのアンバランスさは、今もなお歴史認識の対立を呼び起こし、時に国内政治や外交問題にまで尾を引いている。

 戦争責任は整理されたのか? と問われれば、「表向きには整理した、ことにした」だけである。中身は未整理のまま押し入れに詰め込まれ、開けるときには誰も触りたがらない。そういう歴史の棚が、昭和という部屋には確かにあるのだ。そして今も、そこにホコリをかぶったまま残っている。

第二章:高度経済成長期(1950〜1973)に続く。

戦後から現代までの日本史:経済復興・文化・政治・社会の変遷【第一章/第一回】

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参考:

日本占領史1945-1952 – 東京・ワシントン・沖縄 福永 文夫 (著)

大塚久雄と丸山眞男 ―動員、主体、戦争責任 中野敏男 (著)

ポスト戦後日本の知的状況 (講談社選書メチエ) 木庭顕 (著)

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