戦後から現代までの日本史【第二章/第三回】

2.3 所得倍増計画とサラリーマン文化

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戦後から現代までの日本史【第二章/第二回】

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2.3.1国民総動員スローガン

1960年、日本の経済政策史においてひときわ目を引くキャッチコピーが登場した――「所得倍増計画」である1。これは当時の首相・池田勇人が掲げた国家的スローガンであり、その名の通り「10年間で国民一人当たりの所得を2倍にする」ことを目指した、極めてシンプルかつ大胆な政策だった。正直、今こんな名前の政策を出したら「詐欺かな?」と疑われるレベルだが、当時の日本人は信じた。というより、「とにかく何か信じたい」時代だった。

この計画は実際に大成功を収め、1960年代を通じて日本は年平均10%近い成長を記録し、実際に多くの国民が“豊かさ”を実感することになった。白黒テレビからカラーテレビへ、ちゃぶ台からダイニングテーブルへ、木造住宅から団地へと、生活様式そのものが次々とアップグレードされていった。国民は「がんばれば生活はよくなる」という単純明快なルールに夢中になり、資本主義の階段を全力で駆け上がっていった。もはや「生きがい=消費」の時代の幕開けである。

2.3.2サラリーマン社会の型枠が完成

だが、この「倍増」の裏側には、当然ながら社会構造の大変革が進行していた。最も顕著なのが、都市部への労働力の集中、そしてサラリーマン文化の確立である2。地方から若者が上京し、大企業に就職し、ネクタイを締めて電車に乗る――そんな“出世コース”が黄金モデルとして浸透していく。日本の会社員は、朝のラッシュに揉まれながら会社に向かい、夜は上司と飲み、休日はゴルフに付き合い、給料の何割かをローン返済に注ぎ込む。

この時代の企業は、「社員は家族です」とか言いながら社員を家より拘束した。終身雇用、年功序列、企業内福祉といったシステムが確立され3、社員は会社のために尽くせば、いずれ見返りが来ると信じて働いた。働きすぎて過労死寸前になっても、新聞には「企業戦士」とか書かれる始末。なんというか、“成長神話”という名のカルトに、国家ぐるみで入信していた感がある。お布施は体力と精神力。結果、現代にまで続く“会社こそ人生”みたいな価値観の原型が、ここでしっかり作られてしまった。

2.3.3一億総中流とテンプレート地獄

同時に、都市化の加速も進んだ。住宅難を解消するため、郊外に団地が大量に建設され4、そこに「団地妻」と「通勤戦士」が住み、テレビを囲んで夕食をとるという昭和の核家族モデルが量産された。駅前には商店街、街にはスーパーマーケット、週末は家族でデパート。絵に描いたような中流家庭が次々と登場し、「一億総中流」という幻想が育まれていく5。今から見るとほとんどジオラマみたいな社会だが、当時はそれがリアルだった。

しかしこの中流モデル、見た目の平等性とは裏腹に、実はものすごく画一的だった。理想の家庭像、理想の働き方、理想の消費パターン――全部がひとつのテンプレートに収められ、それ以外のライフスタイルは“異常”とされがちだった。家を買い、車を持ち、子どもは大学へ、というコースから外れた瞬間、社会からの視線は冷たくなる。つまり、みんなが「中流であること」に安心しながら、密かにそれを維持する競争に苦しむという、非常にめんどくさい構造が出来上がっていたわけだ。表面は平和、中身はヒリヒリ。おそらく、ジャパニーズ昭和の美学とは、そういうものだったのだろう。

結局のところ、所得倍増計画とは、単なる経済政策ではなく、“生活の形”そのものを設計した国家プロジェクトだった。その結果として、戦後日本人の多くは「働けば報われる」という信念を獲得し、同時に「働かないと取り残される」という強迫観念にも取り憑かれた。成功体験は強力だ。だが、強すぎる成功体験は、後々その国の柔軟性を奪ってしまう――という教訓が、まだこの時代の人々には見えていなかった。

戦後から現代までの日本史【第二章/第四回】

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参考:
戦後日本経済史 日本経済新聞社 (編集)
日本経済史1600-2000: 歴史に読む現代 浜野 潔 (著)
昭和経済史 中村 隆英 (著)
池田勇人とその時代 伊藤 昌哉 (著)
ポスト戦後日本の知的状況 (講談社選書メチエ) 木庭顕 (著)

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