
3.4 バブル期の若者文化とトレンディドラマ
目次
3.4.1 トレンディドラマが描いた理想の都会ライフと恋愛観
1980年代後半から1990年代初頭にかけての日本では、若者のライフスタイルそのものが「演出された消費空間」になっていた。もはや人生そのものがテレビ番組の一部であるかのように、ファッション、デート、恋愛、仕事、遊び――全てが「魅せる」ことを前提に構築された。リアルな若者とフィクションの世界が混ざり合い、日常がドラマに侵食されたこの現象の象徴が、いわゆる“トレンディドラマ”である1。
このジャンルは1980年代後半から90年代前半にかけて一大ブームを巻き起こした。舞台は港区、職業は広告代理店かデザイナー、住んでるのは高級マンション、乗ってる車は外車、服はもちろんブランド物――という“現実を超えた理想の若者像”が連日ゴールデンタイムに放送された2。典型的なのが、『東京ラブストーリー』(1991年)や『抱きしめたい!』『君の瞳をタイホする!』などの月9ドラマ群3。視聴者はそれを見て、「ああ、これが“本当の大人の恋愛”なんだ」と勝手に信じ込んだ。そして、現実で真似しようとした。いや、できるわけないだろ。お前の年収、永尾完治じゃないんだから。
3.4.2 バブル世代のファッション・恋愛・自己演出の実態
それでも、当時の若者たちはドラマの世界を「理想として追体験する」ことに夢中だった。六本木でディナー、ホテルのバーで乾杯、翌朝は湾岸ドライブで海を見ながら別れる――という、現実に存在しない日常を、カネと時間で無理やり再現する4。つまり、ライフスタイルのロールプレイである。そしてそのロールプレイに必要なのが、ブランド服、携帯電話(当時はショルダーフォンレベル)、タワーマンション的な部屋、バブル系企業の肩書き、そして多少の演技力5。ドラマに影響されたのか、ドラマが社会を写したのか、もはや判別不能の相互フィードバックが繰り返された。
若者のファッションも独特の進化を遂げる。男性はDCブランドのジャケットを羽織り、パンツはタック入りのハイウエスト、髪はワックスでギラつかせて“なんかできそうな感”を醸し出す。女性はボディコンスーツに肩パッド、ピンヒールを履いてジュリアナ東京で羽根扇を振る6。完全に『YAZAWAの世界』と『NHKの地球ドキュメント』が合体したみたいな奇跡の時代である。突っ込みどころ満載なのに、当時はそれが本気でカッコよかった。
3.4.3 音楽とメディアが支えた“脚本化された青春”
しかもこの時代、恋愛とキャリアがリンクしているのが特徴的だった。恋人と一緒に成長して、出世して、マンションを買って、ブランドを贈り合うという“パッケージ型の幸福”が理想として広まった7。若者文化は夢に溢れていたが、その夢は恐ろしくテンプレ化されていた。「25歳で結婚、30歳でマンション、35歳で子ども2人」というスケジュールが見えすぎていた。
音楽もこの文化の燃料となった。小室哲哉やWink、プリンセス・プリンセスなどがヒットチャートを席巻し、歌詞には「都会」「恋」「夢」「明日」という謎のキラーワードが踊る8。街にはウォークマン、デートにはCDプレーヤー、別れにはバラード。みんな、なんであんなに感情むき出しだったんだ。今じゃLINE一つ返すのも面倒なのに、当時は毎日「会いたい」とか「運命だ」とかを全力で言っていた。
こうして、バブル期の若者文化は、自分を脚本化しながら生きる時代だった。日常を“演出”し、恋を“演技”し、自己を“プロデュース”する9。リアルとドラマがごっちゃになりながらも、「楽しいからいいじゃん」で押し切れるパワーがあった。社会全体がイケイケで、どんな夢も“可能”に見えた。少なくとも、表面上は。
でももちろん、そこに映っていたのは泡の中の虚像だった。見せかけの都会的生活、ローンまみれの消費、そして感情を切り売りして形成された恋愛の数々。夢に踊った若者たちの多くは、やがてバブル崩壊とともに現実に叩き落とされ、ブランドの袋と別れ話の思い出だけが残った。それでも、あの時代には、確かに“何かになれそうな気がする”という強烈な錯覚があった10。それが幸福だったかどうかはともかく、エネルギーに満ちていたのは間違いない。
参考:
戦後日本経済史 日本経済新聞社 (編集)
日本経済史1600-2000: 歴史に読む現代 浜野 潔 (著)
バブル:日本迷走の原点 永野 健二 (著)
日本不動産業史―産業形成からポストバブル期まで― 橘川 武郎 (編集), 粕谷 誠 (編集)
バブル文化論 原宏之 (著)
狂気とバブル チャールズ・マッケイ(著)、塩野未佳(訳)、宮口尚子(訳)
アッコちゃんの時代 林 真理子 (著)