戦後から現代までの日本史【第四章/第一回】

4. 失われた10年とデフレ時代(1991〜2001):希望の喪失

1991年、バブルの崩壊とともに日本は急速に冷え込んでいく。熱狂の終わりとともに残されたのは、資産価値の暴落、借金の山、そして誰も明確な対処法を持たないまま続く景気の低迷だった。1990年代は、表面上は平和でも、経済的には長く、冷たく、そして絶望的な“冬”の時代だった。これが俗にいう「失われた10年」、あるいはもっと正直に言えば「夢の後始末の10年」である1

この時期の日本経済は、成長どころか、現状維持すらままならない状況に陥った。消費は冷え込み、企業は投資を控え、政府は対策を打っても焼け石に水。加えて、物価がじわじわと下がり続けるデフレ現象が進行し2、人々の心理はさらに萎縮。お金を使えば使うほど不安になるという、経済的トワイライトゾーンに突入することになる。明るい話がなさすぎて、当時のニュース番組はほとんど葬式みたいなトーンだった。

この章では、金融システムの崩壊、雇用構造の変化、政治の混迷、技術革新の孤独な成功、そして海外からのショック――出口の見えない経済的低体温症を、多角的に見ていくことにする。何かが劇的に起きたわけではない。でも、何も良くならなかった。希望のない10年というのは、絶望の10年よりも地味にしんどい。

4.1 金融機関の連鎖倒産と不良債権問題

目次

戦後から現代までの日本史【第一章/第一回】

戦後から現代までの日本史【第一章/第一回】

戦後直後の日本(1945〜1950)

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戦後から現代までの日本史【第二章/第一回】

戦後から現代までの日本史【第二章/第一回】

高度経済成長期(1950〜1973)

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戦後から現代までの日本史【第三章/第一回】

戦後から現代までの日本史【第三章/第一回】

バブル経済期(1986〜1991)

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4.1.1 不良債権の拡大とバブル崩壊のツケ

1990年代、日本経済の中核を支えていたはずの金融機関が、次々と音を立てて崩れていった。バブル期に膨張した信用は、崩壊後に瓦解し、「銀行は安全」「潰れるわけがない」という神話は、見事に粉砕される3。これが、失われた10年を“失わせた”最大の要因の一つ――不良債権問題である。

バブル期、日本の銀行は金を貸しまくった。担保が土地ならOK、企業の実力は二の次。信用とは「どれだけ土地を持っているか」の略語であり、借金とは「将来の夢に貼った値札」だった。問題は、その担保の地価が暴落したこと。借金は消えないのに、担保の価値が吹っ飛ぶ。そして、借金を返せなくなった企業が次々に倒産し、銀行の持つ融資は「回収不能=不良債権」に変貌した。

4.1.2 ゾンビ化した銀行と日本経済の停滞構造

この「回収不能な借金」、要するに紙クズの山が、銀行のバランスシートを汚染し、金融機関の健全性を蝕んでいった。だが、日本の銀行と政府は、最初の数年、まるでこの問題に本気で向き合おうとしなかった。なぜなら――認めた瞬間に自分たちの経営が吹き飛ぶから。破綻は隠すもの、損失は先送りするもの。そういう“空気”が、金融業界を重く支配していた4

結果、日本経済にはびこったのは、「銀行のような顔をしたゾンビ金融機関」たちだった。自己資本比率はガタガタ、不良債権は隠蔽気味、それでも営業は続ける。貸し渋りが起き、新たな投資が止まり、企業は必要な資金を得られず、景気は回復しない。この負のループが、「経済は動いてるように見えて、実は内部で腐ってる」という1990年代の風景を作り出していく。

4.1.3 金融危機と国の対応が生んだ“慎重すぎる社会”

転機が訪れたのは1997年。これは、日本の金融史上最悪レベルの年として記憶されている。まず、山一證券――かつて「四大証券」とまで言われた名門企業5が、自主廃業を表明。「社員は悪くありませんから!」という涙の記者会見が、当時のニュース番組を騒がせた。続いて北海道拓殖銀行が経営破綻。戦後初の都市銀行の倒産という前代未聞の出来事に、日本中が凍りついた6。金融機関って潰れるの? という、ごく当たり前の疑問が、ようやく現実になった瞬間である。

この年を境に、政府はようやく本腰を入れて金融再生に乗り出す。金融監督庁(現・金融庁)の設立、不良債権処理の加速、公的資金の注入――つまり「ゾンビを一回殺して、きちんと生き返らせよう」という話になる7。ただし、この処理には数兆円規模の税金が使われ、「なんで国民の金で銀行を助けるんだ」と反発も強かった。まあ、正論である。でも放置すれば経済全体が沈むので、痛みを押しつけるしかなかった。つまり“手術は成功したけど、傷は深かった”状態。

そして今に続く構造がここで固まる。金融機関は保守化し、貸出には超慎重、企業は自己資本で生き延びようとし、リスクをとる文化は一気に冷え込んだ8。銀行は銀行らしくなくなり、企業は挑戦を控える。要するに、「失敗が怖い社会」がこの時期に完成した。おかげで日本は、次の時代に必要だったベンチャー精神や柔軟性を、“失われた10年”の帳尻合わせに使ってしまったのである。

金融機関の連鎖倒産と不良債権問題は、単なる業界のトラブルではなく、社会全体の信頼構造を壊した出来事だった。銀行は信用を失い、政府は対応の遅さで批判され、国民は「未来に賭ける」ことをやめていった。この時代、希望より安全、夢より現実、成長より節約――そうやって日本は、前の時代と決定的に違う国になっていった。

戦後から現代までの日本史【第四章/第二回】

戦後から現代までの日本史【第四章/第二回】

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参考:
戦後日本経済史 日本経済新聞社 (編集)
バブル:日本迷走の原点 永野 健二 (著)
平成はなぜ失敗したのか 「失われた30年」の分析 野口悠紀雄(著)
デフレの正体 経済は「人口の波」で動く 野口 悠紀雄 (著)

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