
6.2 日本企業のリストラと雇用不安
目次
6.2.1 非正規雇用への集中砲火:リーマンショックで始まった大量解雇
リーマン・ショックは、アメリカの話じゃなかった。日本にとっては、雇用の非常ベルがいきなり鳴り響いた日でもあった。しかもそのベル、誰も止めに来なかった。
日本企業が震えながら最初にやったこと――それは「人件費の切り離し」。つまり、リストラと非正規の大量解雇である。
特に狙い撃ちされたのは、バブル崩壊以降に当たり前になっていた非正規労働者たち。
派遣社員、契約社員、アルバイトなど、“正社員じゃない”というだけで、彼らはまず最初にリストラ対象リストの筆頭に名を連ねた1。
企業から見れば、「切りやすいコスト」=非正規。これが制度的にも心理的にも完全に定着していたのが、2000年代末の現実だった。
6.2.2 製造業派遣切りの衝撃と住居喪失:社会的排除の構造化
特に象徴的だったのが、製造業の“派遣切り”である。
トヨタ、日産、ソニーといった大手メーカーは、2008年から2009年にかけて、工場ラインの人員を大規模に削減。
寮付きの契約だった人たちは、解雇=即退寮、つまり「職も家も同時に失う」という、現代とは思えないほど原始的な社会的断絶に直面した2。
これはもはや、リストラというより社会からの排除に近い。
正社員もまた、安泰ではなかった。
企業は早期退職募集や給与カットを次々に発表し、中高年社員がリストラのターゲットとなった。
つまり、経験よりコストパフォーマンスが評価軸になる社会へと一気に傾いた3。
それでも、「正社員はまだマシ」という空気が広がったのもこの時期。
つまり、雇用の世界においても「勝ち組・負け組」の構造が強固に形成されたのだ。
正規と非正規。守られる側と、そうでない側。
この分断は、住宅ローン、結婚、出産、老後設計、教育投資など、あらゆる人生設計に直結していた4。
6.2.3 「切るのが当たり前」へ:リストラの文化と政府の後手対応
そして何より問題なのは、こうしたリストラが“一時的な景気対策”ではなく、企業文化として定着してしまったことだ。
「業績悪化=まず人件費を削る」は、今も多くの企業の標準行動である5。
アップデートされたのは、人材戦略ではなく、リストラの手際である。
このような状況の中で、労働者のメンタルもボロボロになっていく。
仕事を失う恐怖、給与が減る不安、将来の見通しのなさ。
リストラに怯えるサラリーマン、派遣村に集う労働者、そして「何が悪かったのかもわからない」とつぶやく非正規の若者たち。
失われたのは、雇用だけでなく、自尊心と希望だった。
それでも、当時の政府の対応は鈍く、具体的なセーフティネットの整備は後手に回った。
雇用調整助成金や派遣契約の見直しも行われたが、「解雇されてから慌てて対策を練る」という、完全に後追いの動きだった6。
しかも正社員保護に偏りすぎて、非正規に対する保護は“配慮”レベルでしかなかった。
いわば、沈没しかけの船の一等客室だけをなんとか守って、他の人は「泳いでどうぞ」状態である。
まとめると、リーマンショックは日本の雇用の脆弱性をエグいほど可視化した。
「雇用が柔軟になった」なんてポジティブワードの裏には、
「いつ切られるか分からない不安」と「切られたら詰む設計」の現実があった7。
それはまさに、グローバル競争に順応するために“人間を軽く扱える構造”を選んだツケだったのだ。
参考:
戦後日本経済史 日本経済新聞社 (編集)
平成はなぜ失敗したのか 「失われた30年」の分析 野口悠紀雄(著)
政党政治の混迷と政権交代 樋渡 展洋 (編集), 斉藤 淳 (編集)
最新版 改正労働者派遣法がわかる本 【全条文付】 大槻 哲也 (監修), 加藤 利昭 (著)
リーマン・ショック・コンフィデンシャル上 追いつめられた金融エリートたち 上下 アンドリュー ロス ソーキン (著), 加賀山 卓朗 (翻訳)
日本銀行と政治 金融政策決定の軌跡 上川龍之進 (著)
日銀漂流 試練と苦悩の四半世紀 西野 智彦 (著)
リーマン・ショック 元財務官の回想録 篠原 尚之 (著)
政権交代の内幕 上杉 隆 (著)
民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか? 神保 哲生 (著)