戦後から現代までの日本史【第二章/第五回】

2.5 公害問題と高度成長の代償

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戦後から現代までの日本史【第二章/第四回】

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2.5.1日本の高度経済成長と公害の関係とは

「成長」という言葉には、何かしらポジティブな響きがある。だが、高度経済成長の現実には、その裏に潜む負の遺産も山ほどあった。とりわけ深刻だったのが、公害問題である。これはもう「副作用」なんて生やさしいものではなく、国家が全速力で走ったせいで、空気と水と人間の肺と皮膚と細胞が無茶苦茶になったという話だ。

1960年代、日本は世界屈指の経済成長を遂げていたが、その原動力は重化学工業、つまりエネルギーを使い倒して排出しまくるタイプの産業だった。石炭から石油へ、手作業から機械へ、自然との共生から排気との共生へ――あらゆる産業が「効率」を名目に大気と河川を汚し始めた。企業は言った、「環境? なにそれ、美味しいの?」。政府は言った、「とりあえず今は経済優先」1。国民も言った、「煙が見えるってことは、景気がいい証拠」。これ、今読むと背筋が寒くなるセリフだが、当時は本気でそう思っていたのだ。

2.5.2日本四大公害病:水俣病・イタイイタイ病・四日市ぜんそく

そしてついに、汚染は「見えない不快感」ではなく、命を奪う現実となって表れる。日本四大公害病と呼ばれる、水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく、新潟水俣病は、この時代に起きた2。例えば水俣病。これは熊本県水俣市の化学工場が海に垂れ流したメチル水銀が原因で3、魚介類を通じて人間に中毒症状を引き起こし、運動障害や言語障害、さらには死に至る被害をもたらした。人が海の魚を食べて倒れ、猫まで踊るように暴れて死んだという記録が残る。

イタイイタイ病は富山県で発生。神通川に排出されたカドミウムが米とともに体内に蓄積し、骨がボロボロになって痛みにのたうち回る4。これも名前がシャレじゃない。「あいたたた」で済む話じゃない。「人間ってこんなふうに壊れるのか」という恐怖の教科書だった。これらの被害は、単に“自然破壊”という表現で片付けることができない。明確な人災であり、企業と行政の怠慢、そして経済最優先の風潮が招いた社会的犯罪だった。

さらに、四日市ぜんそくに代表される大気汚染も深刻だった。三重県四日市市では、石油コンビナートから排出される亜硫酸ガスが大気中に充満し5、ぜんそくや気管支炎、慢性的な呼吸障害に苦しむ住民が続出。夜、寝ているだけで咳き込み、子どもが酸素マスクをつけて登校する風景は、「文明の代償」の生々しい一面だった。煙突から出る煙が「景気の象徴」から「死の予告状」になるのに、そう時間はかからなかった。

2.5.3公害の教訓と現代社会への影響

これらの事件は、最終的に裁判によって企業や政府の責任が認定され、被害者には賠償が行われるようになるが、その過程もまた地獄だった6。因果関係の立証、被害者認定の遅れ、差別と偏見、そして何より「経済のためなら多少の犠牲は仕方ない」という国民的無関心。成長の恩恵を受けていた多くの人々にとって、公害被害者はどこか“外れた人々”として扱われていたのが現実である。「かわいそうだけど仕方ない」――その言葉が、戦後日本の裏テーマだったのかもしれない。

それでも、これらの悲劇が契機となって、1970年代には環境保護の声が高まり、「公害国会」と呼ばれる国会で公害対策基本法などの重要な法律が成立する7。環境庁(現・環境省)も創設され8、ようやく日本は「成長しながらも守る」というバランス思考にシフトしはじめた。もっとも、手遅れだった地域や人々も多く、償いがすべて果たされたとは到底言えない。

結局のところ、高度経済成長は確かに人々に“豊かさ”をもたらしたが、それは“何かを見ないふりすることで成立した豊かさ”でもあった。そしてその「見ないふり」の対象が、まさに人間の命であり、健康であり、環境だったという現実から目を背けてはいけない。昭和という巨大なエンジンが熱狂の中で走っていたその陰で、多くの犠牲が静かに積み上がっていたのだ。

だからこそ、高度成長の物語は「夢」だけで語ってはいけない。煙に包まれた街、涙を流す子ども、認定を求めて闘う人々――それらもまた、あの“奇跡の時代”の本当の一部である。そして、今を生きる我々が何に価値を置くべきかを問い直すヒントは、案外その時代の“裏面”にこそあるのかもしれない。

戦後から現代までの日本史【第一章/第一回】

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戦後から現代までの日本史【第二章/第一回】

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参考:
戦後日本経済史 日本経済新聞社 (編集)
日本経済史1600-2000: 歴史に読む現代 浜野 潔 (著)
昭和経済史 中村 隆英 (著)
公害被害放置の社会学: イタイイタイ病・カドミウム問題の歴史と現在 飯島 伸子 (著),藤川 賢(著),渡辺 伸一(著)
ポスト戦後日本の知的状況 (講談社選書メチエ) 木庭顕 (著)

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